■観る 歴史


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  瀬 見 温 泉 」  せみおんせん
 むかし、鎌倉時代のはじめ、兄頼朝から追われた
源義経は、武蔵坊弁慶などのわずかな家来を従えて、
北陸路を北に進み、鶴岡から清川に出て、舟で最上川
をさかのぼりもと本合海に至り、ここから亀割峠を越して
小国郷に入り堺田を経て陸奥国(岩手県)平泉に逃れた
という。小国川の両沿いの地域には、とくに色濃く義経伝
説が語り継がれ分布している。
 瀬見温泉の名のおこりは、昔、兄と仲たがいになった
義経が、山伏に身をやつした一行となり奥州平泉をさし
て落ちる途中、庄内から最上川をのぼり小国川沿いに
通るつもりであったが、一関(舟形町)という関所がある
と聞き、道をかえて休場を通り亀割山の山道にさしかか
ると、同行の北の方が急にお産をされて苦しまれた。弁
慶は急いで東の沢にくだって水をさがすうちに湯煙を見
けて掘り出したのが、瀬見の湯であると言われ、西側の山下に一行が休んだ所を休場(新庄)と名付
今なお判官神社を祀っている。瀬見とは、山あいを流れる小国川の瀬を見てわたるからとか、弁慶が
の湯を掘った薙刀が「せみ丸」という名であったからとか。義経の子は亀割山にちなんで亀若丸と名
けられたが、ここは仇の国であるからとか一声も泣かなかったので泣かぬ蝉といったとか。その蝉が
瀬見の字を当てたと伝えられる。
 
 三吉山自然公園

 瀬見温泉街 「三吉山」の北面する傾斜地には、ケヤキ
群落が、自然林に近い状態で保存されている。
 そこには、樹高25メートルの大木を含め、大小数十本
のケヤキの樹木がみられる。林冠は、ケヤキを主とし、カ
ツラ、トチノキ、サワグルミ、ブナ、ミズナラ等の落葉広葉
樹にスギ、カラマツの人工針葉樹が混入している。亜高
木層もよく発達し、陰湿な環境になっている。林床植物を
みると、日かげを好むリョウメンシダ、ジュウモンジシダ、
イヌガンソク、オシダなどのシダ植物と、オオハナフド、エ
ンレイソウ、アキタブキ、オオウバユリ、オオバギボウシな
どの多年生広葉草本が優占していて、トチノキ、サワグル
ミ林と類似している。
 このケヤキ林を構成する樹木の種類は多く、ハウチワ
カエデ、ミジ、ウリノキ、ムシカリ、ガマズミ、ヒメ
アオキ、ハイイヌツゲ、ハイイヌガヤ等60種類ほど記録
されている。 また、草本類ではシダ植物11種、種子植
物50種ほど知られている。




 亀割峠と瀬見温泉  かめわりとうげとせみおんせん
 義経北の方が亀割山で生んだ子は男の子だったの
で、亀割の亀と万年の亀とにちなんで目出度いと 「亀
若丸」と名付けた。弁慶はうぶ湯をつかわそうと谷に水
汲みに下りると、川辺の岩間 にもうもうと霧のように湯
煙の立ちこめているのをさがし当てて、喜び勇 み太刀
をふるい薙刀で岩を割 り出湯を掘った。それが瀬見温
泉の始まりりでその跡 が今の薬研湯であるとか。亀若丸
が枕にしたという子枕石、弁慶が手植えした弁慶杉が
亀割山中にある。

 義経一行が弁慶 の案内で山を下りるときにじゃま
なった道辺の松を引き抜いて投げたのが、瀬見に落ち
根付いたと言う弁慶の投げ松である。また、弁慶の腰
け石は、その時休まれたもので、北の方お産をされ
ホラ貝で土をすくうと、そのた時、近くに水がないので弁慶くぼみに清水が湧いたと言う。そこに子安観
を祀ってあり、村人が参拝の折、その辺で子安貝という巻貝を拾ってきて、お産の時その貝で水を汲
んで使うと安産まちがいなしのききめがあると信仰されている。そこに石碑が立ち 「義経北の方御産の
跡文治3年旧4月8日 」と刻まれている。
 


 「亀割峠参道」  かめわりとうげさんどう
 文治3年兄頼朝に追われた弁慶義経一行が越えた
と伝わる峠であり、その歴史的ロマンの面影が今も濃
く残る。



 「小安観音奥の院」  こやすかんのんおくのいん
 石碑には「義経北の方御産の跡、文冶3年旧4
月8日」と刻まれている。
 近くに亀若丸子枕石、弁慶が手植えした弁慶杉
があり今も神秘的な面影を残している。



 亀割子安観音   かめわりこやすかんのん
 北の方が義経の子、亀若丸を出産した際に加護
のあった観音様で、子授けと安産の神として親しま
れています。杉木立の中にひっそりと燈明が揺れ、
静かな佇まいが遙か古えの面影を今に伝えていま
す。



 「斉藤茂吉碑」  さいとうもきちひ
 湯前神社のすぐ隣に建つ、文人斉藤茂吉の歌碑
です。「みちのくのいで湯の朝市に熊茸というきの
こうりけり」と、逗留を楽しむ茂吉の姿が刻まれて
います。



 「湯前神社」    ゆまえじんじゃ
 文治3年に弁慶によって発見された瀬見温泉の
守り神で、そのお湯は亀若丸の産湯として使われ
ました。毎年9月1日に義経を偲び中尊寺、毛越寺
の僧侶による供養祭が行われます。



 「亀若丸の産湯」  かめわかまるのうぶゆ
 弁慶が岩を割って見つけだした温泉は、いまの「
薬研湯」で、自然の岩風呂であった。
 弁慶がこの時使ったなぎなたの名が「せみ丸」で
あったので、この地を瀬見と呼ぶようになった。また
、亀若丸が落人の身であることを知ってか、一声を
泣かなかったので「泣かぬ蝉」いとう意味でこの名
がついたともいう。さらに、昔ある人が湯煙のかか
る松の木に止まっている蝉をつかまえた。この蝉は
傷を負ったので、湯煙で湯治をしていたのである。
このことから「蝉の湯」と呼ばれるようになったとも
伝えられる。



 お産屋の跡  おさんやのあと
 薬研湯の川向かいに祀られている山神社は北の
方が、ここに産屋を建てて、しばらく養生したところと
いわれ、後に村人がこの地を不浄にしてはいけない
と「山神」の碑を建てた。 この山神は安産の守り神
として崇められている。



 「古峯神社」   ふるみねじんじゃ
  参道には最上西国33観音の石仏が祀られてい
 る。



 弁慶の硯石  べんけいのすずりいし
 瀬見発電所の近くの大きく平らな岩を「弁慶の硯
石」と呼んでいる。文治 3年亀若丸の名を付けると
き、弁慶 はこの岩を硯として墨をすったという。この
近くに弁慶の足跡や馬の足跡の付いた岩がある。



 瀬見発電所  せみはつでんしょ
 明治45年1月25日(1911年)に使用開始、山
形県内で2番目に古い
発電所。
   
  最大出力   380KW
  使用水量   3.34M/S
  有効落差   14.7M 瀬見渓谷 
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